「ちょうどいい」をさがす

自律神経失調症で繊細な専業主婦させていただいております

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あ~消えたい と思ったら何する?

 そんな深刻な話ではないのですが。

 通常運転でもわたしの根っこには「消えたい」っていうのがいつもあります。それを今更どうしようかっていう話ではなくて何をしたら紛れるんだろうっていつも思ってます。

 

消えたい理由

 「消えたい」ってなんで思うんだろう?ってゆうか普通の元気な人は1ミリも思わないんですかね?何人か実際訊いてみたことがあるけど「ない」って言ってました。幸せやなぁ。<疲れた><凹んだ>はあるけどそれが「消えたい」にはならないんですって。じゃあ、私は何で消えたいんでしょう?一番初めに思いつくのは気を遣いすぎるから。今日はそんな私が「消えたい」ときにすべきことを考えるために頭の中を整理してみるのです。

 

 

”微笑みうつ”と”本音と建て前”

 ”微笑みうつ”ってのはすごく調子が悪いのにそれを外部に知らせないようにいわば無理して笑ったり陽気にしていること。”本音と建て前”っていうのもちょっと似ていて自分の意志、気持ちははっきりあるけど直球でぶつけるわけにはいかない時にそれを控えること。それってどちらもベースは相手への優しさですよね。自分はこの空間がつまんないけどそこの空気を濁さないように立ち去る、とかは誰でもしてるはず。その場の空気をおかしくしたくないし、心配かけたくないし、言ってもわかってもらえないからやり過ごす。違いは何だろう?と考えました。

違いは前者は本当は助けが必要なんだけど不必要に注目されないようにカモフラージュしてる。一方、後者は自分の意志がはっきりあってその上で不必要に摩擦を起こさないようないわば人間関係のスキルってとこでしょうか。

スキルなら使うと上手にその場が良い感じに回って自分でも満足できるけど、ごまかしてる時はその満足感は(ゼロではないけど)薄いんですよね。満足より「ごまかせた…ホッ。」という安堵程度。攻めと守りのようなニュアンスの違いを感じます。どちらにせよ周囲の人のことを考えているという点では評価されていい事なのかと。

”微笑みうつ”と”誤解”

 微笑みうつの場合「本当は助けが必要」なことが多いけど周りには伝わらないわけですが、わざわざ必死で隠しているつもりはなくただ誤解されていることも多いです。

 例えば、私がこうやって文章を書いて見出しや副見出しもつけていかにも文章を整理しながら書いているとぐちゃぐちゃな思いをただ書き殴っているような文章に比べ冷静で落ち着いているように見えます。が、実際は感情に任せたぐちゃぐちゃな文章を書けないのです。以前、「自律神経失調症HSPは日記を書くといいよと言われても無理」というテーマでブログを書きましたらそんなに大人数ではありませんがポツポツとずっとその記事がどなたかに読まれているのです。共感して下さっているのか日記の効果を知りたかったのかは謎ですが。同じ感覚の方がいたらとっても嬉しい。

harutoutato.hatenadiary.jp

 そこにも書きましたが私の場合、自分のネガティブな気持ちを書きなぐると罪悪感が増すのでできません。整然と話すしかできないのですが、この話し方でほとんどの人は「大丈夫だね。今は。それだけ自分のことがわかって話せるんだもの。」と思われるようです。でも、少なくとも私は「ちょっと今しんどくて。こうで、ああで~」と口にしたらもう結構しんどい状態だったりします。直前までまったく関係のない、周囲に心配かけないトーク、なんなら周りを盛り上げる明るいトークだってしてますから気づかれません。そんな人が自分の中のことをチラッと話し出したらそれが理路整然としていようが落ち着いていようが結構切羽詰まってます。健康な人はたぶんここで「じゃあ、そうストレートに言ってよ」と思うのでしょうがここで<迷惑かけたらいけない・空気を悪くしたら申し訳ない>が発動するのです。

 もう一つ。体調の悪い者は今後もちょくちょくこういうことになるので「今日だけしんどいのね。元気になったら頑張ってね」と済まされるのも辛いのです。2回目からは「え、またなの?」と言われはしまいかと思うのです。

不調の切り抜け方は<生きるけど消える>をどう工夫して作り出せるか

 で、どうしたい?って話です。「消えたい」に込める気持ちは人それぞれですが、私の場合はすべての責任がない数日を作りたいです。よく「自分だけに毎月カレンダーにはない数日があればいいのに」と思います。「ちょっと休んだら?」とか「もう少し気楽にやったら?さぼったら?」と言われても、世間と同じように動いている限り<今日自分がすべきこと>に責任を感じてしまうから。なので自分で「消える」のと似た現象を作れれば最高です。予期せずそうなったら無茶苦茶開放感があります。

学校なら自分は元気だけど学級閉鎖になる とか

職場がお正月休みになって全員仕事をしていない とか

自分のことを誰も知らない場所に一人旅に出る とか

地域一体停電になる とか(これ数年前の台風の時、実際3,4日停電だったんですけどすごく気持ちが休まりました。大変だった人には申し訳ないけど。家事のいくつかはしようにもできなかったし仕事から帰ってこれなくなった旦那さんとも連絡取れなかったので。まさに空白の3日間でした。)

でもこれは全部ハプニングなのでもっと日常できることが欲しいです。数日でもいいから本当に誰も何も私に期待しないでくれたらいいのに。誰かに「休んでたね?」も「来なかったね?」も「居なかったね?」も言われない世界。猫にも見つからない世界。…これが一番無理か。いや、猫はいいか。話さない彼らは救世主。

 

「消えたい」=何かから解放されたいのはず。解放されたいものを突き止めて離れてもいいモノなら離れましょう。世の中、しばし離れることも許されないものなんてそうそう多くはありません。