「ちょうどいい」をさがす

自律神経失調症で繊細な専業主婦させていただいております

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無償の愛を受けるのがすごく苦手

人生で地味にずっと理解できていないことがありました。「自分」のことなんですけどね。

「ほら、こんなにあなたは愛されてる」と言われたら

「困る。なんなら嫌。」っていう感覚。

言われたら「ありがと~元気出た~!」ってなるはずの言葉なのだけど、私は大の苦手なのです。

 

 

愛とプレッシャー

 繊細で<気にしぃ>な私は誰かに見られていると本来の力が発揮できないタイプです。料理も車の運転もミシンも、横に誰かいると集中できずに失敗します。その延長線上で、愛や心配や気遣いを受けるときも同じプレッシャーを感じます。それもまた”見られている”ことと同じなので。もちろん自分もその人が好きだと「お役に立ちたい」「悲しませたくない」という気持ちも純粋にあるのですが相手の立場が上の方であるほど、または親密さが薄いほどうれしさよりプレッシャーの方が勝つのです。「あ、はい…。ご期待に沿えるよう最善を尽くします…」と反応し、これが長期間続くと結構な疲労になってしまいます。

 子供の頃は親にそう感じていました。でも悪い感覚はなくって「よおし!私がお父さんとお母さんを喜ばせるぞ~」「迷惑とか心配をかけちゃいけないから頑張って元気にしていよう。」と思っていたけど、それでへとへとになった記憶はなくてどちらかというと満足していました。きっとシンプルな子供の世界だったから。ところが、大人になると人間関係が複雑になるし、自立すると親ではなく「自分がどう動くか」を毎日自分で決定します。その中で「あれ?自分は人にかまってもらうのがめちゃくちゃ苦手だ」と気づいたのです。

 

親切を受けたら苦しくなる

「愛には何かを返さなくては」というプレッシャー。具体的に挙げると、

身に着けるものをプレゼントされる自分好みじゃなくても絶対その人の前で何回か身に着ける

車で送迎をしてもらう→その人が遠回りになるなら断る、何回も続いたら何かお礼をする

お手紙など頂く絶対返す

こちらのことを気遣って質問してくれる→自分が話した後、必ずこちらも尋ねる

「え、普通にマナーのある人でいいんじゃないの?」と思うかもしれませんが、自分的にはさっさと清算しようとしているのです。自分がすっきりする何かをお返しして相手と<貸し借りがない関係>でいたい。プレッシャーを手放したい。という自覚があるのですごく冷たい人間だと思っています。これができないでいるともうソワソワが止まらない。

矛盾ではあるのですが自分が逆の立場(親切する側)の時に同じ反応を相手に求めたりはしませんし「お役に立ててよかった」であっさり終わります。なので苦しくなりすぎる時は一度相手の立場に立ってみることで自分を説得することもあります。「私もあの人に差し入れした時、”いつかお返ししてよ”なんて思っていなかったじゃないか!だからありがたく頂くだけでいいんだ。」となんて感じに。

自分は”おかしい”と思うことが一番つらい

 家族の中や周囲の知人の中にこの私の”清算”する感覚とか、「気遣われるとプレッシャーなので観察しないでほしい」という気持ちを分かる人はこれまでほぼいなかったので日常が結構大変です。だって送迎してもらって「あ、ここから先はあなたは遠回りになるからここで私をおろして!」とか言われたら運転手は「何言ってんの?」ってなりますよね。「最近、元気なさそうだったね。もう大丈夫?」と言われて「え?私の様子見てたってこと?怖…やめて。」とは絶対言えないですし。面倒くさい人にならないように<一般>の感性に合わせた対応をしようとするのでそのたびに疲れておりました。なんとかしたくってネットで自分のこの性格を調べても<繊細>とか<HSP>くらいまではたどり着くけどそれ以上はそもそもなんというワードで検索したらいいかわからずあきらめていたところ、ここにきてやっと的確に説明してくれている記事に出会いました。

無償の愛を受けとめられない

 愛されるのが苦手

というワードを急に思いついて調べていて(恋愛関係のモノが多いのですが)出会えたその記事の説明は「無償の愛を受け止められない人」というもの。すごくわかる!それ!って感じでした。世の中にそういう愛が存在するのは重々承知で自分も示せるくせに受け止められない人。そうなる背景の説明にも身に覚えが…。やっぱり子供の頃にすごく「心配かけさせないように」と頑張った瞬間があった人に見られるんだとか。

私も小学生の時<連れ去り事件>に遭いまして、警察を含め知らない大人がいっぱい動く中、親が緊張していたのを見て「親を心配させないように元気な感じでいこう。明日からは怖かったことは忘れて泣いたりしないようにしなきゃ。」と固く思ったのを覚えています。被害者だからもっと悲しんでも良かったのに隠したのです。自分では親への気遣いだったしのびのびやってきたつもりだったけど、気づけば誰かの目があるとそれが優しい人であっても気を張ってしまい、全部の緊張がほどける”一人の時間”に唯一幸せを感じる人間になりました。

愛が向けられると重く感じてしまう人の解決方法

 その記事は<プロファイリング(行動心理学)>を勉強された方の記事で解決方法は「本人は辛いけど無償の愛に少しづつ慣れていきましょう。」でした。ちょっとがっかり。辛くても受け止める、はぁ~でも正論。おっしゃるとおり。

 加えて、自分の経験ではこの面倒な性格を本気で分かってくれる友人を時間をかけてでも数人つくるのが一番いいと思います。良さげな何人かと試しにちょっとだけ込み入った話をしてみると最初の反応で見分けられるはず。幸い私にも私の答えやすいアプローチで接してくれる高度な技術を身に着けた”プロ”の友だち(笑)が2人ほどいます。

「もしプレッシャーじゃなかったら…こういう案はどう?」

「もらってくれる方がこっちが助かるのよ」

って感じに言ってくれて素直に答えられるし断っても「いやいやそんなこと言わずに~」と強要せず「OK!」と受け入れてくれるのが助かります。こういう人がいてくれるだけでそのほか大勢の人がプレッシャーになっても心が逃げられるものです。

まとめ 

誰かの無償の愛を受け止めるのが苦手な人は

立場を置き換えて考えて自分を納得させる

こちらの感覚を受け入れてくれる友人を作る

少しずつ愛を受け入れる経験をして慣れる

周囲の人は

強要せず相手が断れる選択肢を示す

「ずっと見てるよ」ではなく”今”のその人に向き合う

こんな風にプレッシャーにならないようにしてくれると嬉しいです。

”慣れる”ってのはすぐにはできそうもないけれど、私にとっては自分のことをうまく説明してくれる文章に出会っただけで随分心が軽くなりました。

 

文章って力がある。