「ちょうどいい」をさがす

自律神経失調症で繊細な専業主婦させていただいております

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自律神経が狂うということー<雪国うつ>ならぬ<関西うつ>

 <冬季うつ>という言葉があるくらいですから冬はメンタルが弱りやすいみたいですね。幸い私はよく日の当たる地方、家に住んでおりますが、一年を通して曇天・雨天の多い地方にはそんな方が多くなりやすいとか。<雪国うつ>という呼び名もあるみたいです。

 これを書いている今もお昼近くの穏やかな日の光が部屋に入ってきています。一番いい席は猫に取られているんですけどね。引っ越し当時、ほぼ選択肢なく今の家にしたのですが南向きでずっと日が当たっているのは本当に貴重です。袋小路の住宅の中でもここまで当たっているのは我が家だけなので近所の猫がよく日向ぼっこに寄ってきます。

 さて、今年卒業したいことがあります。それが

気を遣いすぎること

私の体調の諸悪の根源です。でもいろんなジレンマがあります。多分答えは闇の中なのですが書いてたら何か見つかるかと。

人と会うことと体調不良

<気付く>と<気遣い>

 まず「わたし、あんまり気疲れしないよ~」という人に尋ねたい。今から人に会うぞ、会ったぞという時のその一番最初、何も考えずに「What's up?」(なぜ英語)って言ってるのですかね?そもそも私はそこから気遣いが始まってしまうのです。【あ、。。。さんだ。ちょっと待てよ。今声かけていいところかな?こういうところで声かけられたくない方かな?気づかなかったら考えなくていいからスルーしよう】みたいなことで悩みます。多分自分が声をかけられるのが嫌だからでしょう。でも「声かけられてらうれしい」という人がいます。びっくりです。こちらに見えるように頭の上とかにランプでも付けといてくれないかな。赤の時は声かけない、青ならかけてほしいとか。

 

 そして、いざ会話が始まったとして今度は【急いでそうだけど大丈夫なのかな?一緒に歩いてるお相手の人、私知らない人だから興味ないよね。早く切り上げてあげなきゃ。】とか考えます。逆に向こうに「どこ行くの?」とか聞かれたら【それ、本当に答えないとだめ?知ったところで意味ないでしょ?】とか思うし、とにかく相手やご一緒してる人(子供とか)の表情に気づくとそれが気になってしまってどうやって差しさわりのない答え方をするかで悩むのです。こう書いていると、何人かの人は「そんなの本気で答えなくても相手もすぐ忘れるよ」って思うでしょう?ところが、ところがなんです!私もそう思っている時に限ってお相手は次に会う時まで覚えていて「あの時〇〇に行ってたよね。(買い物の場合)いいもの見つかった?」とか続きがあるんです。【もういいやん。買ったものまで話すの?】って思うんですが瞬時に頭の中で計算し言っても問題ないことを選択して話を続けるわけです。は~もうこれで脳疲労

 もちろん、普通に何でもない日常を話すことはこちらからもするのですが相手が「いついつ、コレコレをしてさぁ~」と話すまではプライベート感のないところから入ろうとします。いきなり「今日、顔色悪いやんどうしたん?」とか直球ストレートに入ってくる人とか、それすら飛び越えて「もっと笑ったら~?暗いで~」とか剛速球投げてくる人は近寄りたくないです。これって関西だけ?別の地方の方ならちょっと信じられないかなぁ。自分は生粋の関西人の割に本当にこの風潮が嫌なので人の調子とか気分とかには気づいても絶対触れないんだけどな。<関西うつ>も存在するんじゃない?

完璧主義の意味

 <完璧主義>の人はストレスがたまりやすいーというのは理解できなくもないですが自分は完璧主義なのかと言われると分かりません。いつも相手を傷つけないように<完璧な>応対をしようとする、という意味なら合ってるかもしれませんが、何も考えずに人のプライベートな部分にズンズン土足で入ることはマナー違反だと思っています。それが完璧主義なんでしょうか?言われたら悲しい表現なので「何事もきっちりやりたい、やれなかったらがっかりする」という性格は<真面目>くらいでとめておいてほしい。そもそも生まれ持ってそういう資質の人間は、逆に真面目じゃない、完璧主義じゃない人の人生を生きたことがないのでどうやってラクに生きているのか想像できないのです。だから「そんなん考えたことなーい。適当でいいやん。嫌なことは嫌って言えば?」という人と話が合いません。じゃあ「私はそんなあなたと話が合わないのでこの会話が嫌です。もう話さないでおきましょう。」と言えばよろしいんでしょうか?違うと思うんだけど…。

気を遣わなければ私に何が残るのか

 ちょっと一切の気を遣わずに人間関係について自分の気持ちをさらけ出してみよう。

会釈以外のあいさつはしないでほしい。体調を尋ねないでほしい。褒めないでほしい。誘わないでほしい。期待しないでほしいし、記憶にもとどめないでほしい。

ーさて、これらを現実の友人・知人に吐き出せたら、冗談ぽくではなく真剣に、なんなら怒った顔で言えたなら。その時点で私は「気を遣いすぎ」から卒業できるでしょう。でも世の中はこんな会話であふれているし、今日の天気を話題にするのと同じくらい意味なく交わされているから他の方にとっては悪気どころか良い事だと認識されているんですよね。それが重々わかっているので私もみんなの真似をして<不本意>にも自分がされたくない話を振ってみたりするんです。

「最近、元気?」「すごい頑張ってるね?」「あの日、どこ行ってたん?」

あ~いやだいやだ!と思いながら尋ねると「よくぞ聞いてくれました!」って感じで相手は喜んでしゃべりだして私の方は「へぇーすごーい」とか言いながら本心では「あ~こういうのがみんなは楽しいんだ..だったら私は良いことをしたってことでいいのかな?」なんて思っています。

ということで私が<気を遣う>ことを卒業したら、もう誰にも何も尋ねないし、すごく怖い人になるのが目に見えています。こうやって気を遣ってないと私の冷徹っぷりが明らかになってしまうのでやめるわけにはいかないのです。でもそれは脳疲労も終わらないってことで自律神経も整わないってこと。

 

…関西出たら治りますか?

引っ越し予定はないので今年も留年確定です。