「ちょうどいい」をさがす

自律神経失調症で繊細な専業主婦させていただいております

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私が人に退かれる3つの話 その3.「私のことは忘れてください」

 


 ある日、友人のお友達と初めてお会いした時の話。自然な流れとして友人は私にその人を紹介してくれたんだけど他にも人がたくさんいる状況だったので私は「初めましてハルウタです。…忘れてください。」と言いました。あ、カジュアルなお友達なのでちょっとおふざけな気持ちもありました。さすがにもう少しピシッとした空気の時はこんなこと言いません。その場は「なんじゃそれ~!」と拍子抜けになりまして、幸いそのお友達は「え、逆に覚えちゃいましたよ。そんなこと言う人初めてで」と言って許容してくれたのですが、自分でも大人のすることじゃないなと思い申し訳なかったのだけど…それが私の本音なのです。

あいさつが苦手

 とにかく私はある空間、大勢が集まってる部屋とか、友人や知り合いが複数で集合して待ってるところに入っていくその瞬間がたまらなく苦手です。「おはよー」とか言ってニッコニコで入っていけません。何が嫌かって、そこにあるすべての目が一瞬でも一斉にこっちを見るのが嫌いなのです。なのであいさつも苦手です。でも”あいさつ 嫌い”とか検索すると「人として失格」くらいの勢いで意見が出てきますよね。ものすごくよくないイメージを持たれるのだろうなとは理解できるので意識して普通を演じてはいるのですが…。自分には実はこんな理由があるのだということを書きたい。そして挨拶できない人を「社会不適合者」と一刀両断する前にこんな人もいるのだと思ってもらえたら助かります。

 

人の目と人の輪の怖さ

 元々、内気ではありました。母の後ろに隠れてた幼少期です。だから人の目を引くようなことは何もせず生きてたんですがある日を境に内気とは違う「人の目、人の輪が怖い!」っていう感情が生まれます。小学生の時、警察が動くようなことに巻き込まれたんですね。ちょっとの間知らない人に連れ去られまして、まあその事件自体もなかなかの重さですが、おかしなことに私はそのあとの出来事の方がトラウマです。

 近所のおじさんに見つけて助けてもらって家に帰ってきたら、なんと家の前に警察やら近所の人やらものすごく人が集まっているではありませんか!こっちはわんわん泣いているのに知らない大人の中にしかも警察に囲まれるまさに”二次被害”です。そのあと一息つく暇もなく小学生が事情徴収を受けるわけです。家に帰ったのに”家に帰れない”。パトカー乗って現場で写真撮って、警察署に行って話したくもない状況説明させられて、挙句の果て見つけてくれたおじさんにちょっとした嫌味を言われる散々な時間です。(そのおじさんをまったく知らなかったので見つけてくれた時怖がって抵抗したんですよ。そしたら地区の子供会の役員さんだったそうで「子供会の行事に参加してないから苦労したじゃないか!」と親に嫌味を言われました。被害者にすぐ言う言葉ですか?)

 そこから私の<大勢の人が集まるところに入っていくのが大嫌い>つまり人の輪恐怖症が植え込まれました。

わざわざ近づくなら良い事しか言いたくない

 そんな経験をしたもので常々私はあえてその人に近づくならぜひとも良いことを言って去りたいと思っています。でもどの年代にもそうじゃない人もたくさんいます。特に中学校はひどかった…。私にも友達にも、呼んでもないのにやってきて変なこと・いじわるを言って去っていく。ま、思春期の反抗期ですからね。だけど大人になっても入口は何かを褒めてくれることから入るのになぜか最後こっちが気を遣うような会話になる「あなたはいいけど、わたしなんかさぁ~」みたいな後味の悪い出口。

 なるべく悪くは考えないように「この方は家でさみしいのかしら?」とか「どう返してあげたら正解なのかしら?」とか考えるんですけど疲れてると「私、そもそもこの人呼んでないのに…」って思っちゃう。こっちからは絶対近づかないけど向こうからやってきて好きにしゃべって去っていく時のその人の意図がまったくつかめません。

あいさつはなぜ必要か?

 時々、調べることなんです。挨拶の必要性。「こっちが心を開いてますよというメッセージ」という意見を読んだことがあって、「え?じゃあ私が心を開いてないなら逆メッセージであいさつしなくてもいいはずじゃない?」と思ってしまいました。目を合わせて挨拶したら最後。そこからグイグイ入ってこられて「いやいや、私、挨拶はしましたけど深い話をあなたとする気はございません。」とは言えないでしょ?たぶんこの意見はある程度相手を知っていて会話が発展しても構わない仲良しなら理解できるし私もします。では、はじめましての人、通りすがりの人とするあいさつは何の目的があるのか?ハイキング中にすれ違う時とかのあいさつはいいものですよね。まだ答えは見つかりませんが、心がホッとするのは確かなので「私は危害を加えるものではございません。」のサインなのかなと思ったりしています。なので、危害を加えるつもりがある人には使ってほしくないな。学校のいじめっ子とかも使うけど嫌な感じで「おはよ~何してんの~?」って来られても恐怖だもの。

 冒頭の話。

 その新しい人とはそのあとも大勢の中で今後もかかわっていくのがわかっていたので私としてはゆっくり自分のテンポで<あいさつ>したかったのですが、友人がグイっと初見で私とその方を引き寄せようとしてしまったことで思わず「忘れてください」が出てしまいました。今後ずっと顔を合わせるであろう「こんにちは。初めまして。」には責任があると思ってしまう繊細気質の考え方かもしれないです。

 「あいさつはすべて善であいさつ無しはすべて悪」って言うのだけはやめてほしい。過去に挨拶が、知らない人が寄ってくること、人の輪に入ることが恐怖だった記憶のある人もいるのだとわかったうえで<あいさつ>を語ってほしい。そんなお決まりの数語の是非よりもっと心の話をしてほしいと思うのです。