最近、少々疲れています。のでしょうもない日常話。
自分が元気いっぱいではないのに他者のことを考えて気遣ったり、いたわったりするのは無理なのでなるべく世間話をしたくないんです。一日息をひそめていたいのです。やむを得ず出かける時もご近所が誰もいない時に出ていきたいのでキョロキョロしていないのを確認するのですがそれでも会ってしまうとそういう時に限ってモヤモヤな会話になるのです。
ある日、強風の日にご近所の倒れた鉢を黙って起こしておいた時
ご近所「あ、コレ直してくれたのね。」
私「昨日突風がお昼ごろ吹いて落ちてたよ。ゴミも飛ぶほどだったんよ。」
ご近所「ああ、ゴミも?やろうと思ってたんだけど、気づいたらやってくれてたわね。ありがとう。」
一見、なんてことないいい会話なのだけど私は心の中で思ってる。
いやいや、外なんて見てなかったやん。家、静まり返ってたし…。ゴミの飛んだ音すごかったから気づいた人はたぶん外に出てきた私ともう一人のおじさんだけ。なんで「そうなん?気づかんかった~」じゃなくて「私もやるつもりだった」って言いたいんやろ?お礼言ってくださってるし、いいんだけど。
また別の場面。
ちょっとした人数の集まりの中で先ほどのご近所さんとほぼ同じ年代のあるご婦人に言われました。
「あなたは私たちと違う視点で物を見てるから勉強になるわ」
?
「私たちと違う」ってどの<私たち>?なんでその一言で<私たち=多数VSあなた>の構図を一瞬にして作るん?むっちゃ突き放された気になるんですが…。
まあほめてるつもりなんだろうけど。
感謝とか誉め言葉の中にすっと隠れてる謎の競争心
人と話すと無意識に「負けられない!」という気持ちがにじみ出る人が時々いる。真偽はわからないけどどうも私は苦手で避けちゃうんですよね。そういえば中学校のときからいたわ。
感謝してくれてるし、褒めてくれてるし
気が付かなかったことにするしかしょうがない。
なんならたぶん本人も気づいてないようなもんだし、指摘したって何もいいものは生まれないですから。
ただ
悪い私は心の中で返している
「ゴミ飛んだ音、聞こえてないでしょ?本当は」
「私の案、勘の良い人は何人も気づいてますよ?」
言った気になってスッとする。
でも、自分もすることあるかもしれないですので
ヘタな言葉を減らす訓練をしたいと思う今日この頃。
ということで
今日のブログは短め。