自律神経失調症とHSP
自律神経失調症のことを調べるとよくセットで出てくるワード
「HSP」ハイパー・センシティブ・パーソン
この二つ、仕組み的に納得のコンビ感があります。
気温・気圧・湿気など気候的要素
音・匂い・明るさなど感覚的要素
雰囲気・語調・顔色など人的要素
何かにつけて敏感で、刺激が積もりに積もっていくと体調に出る。体のどこかに出たらそれが自律神経失調症、って感じかしら。なんか、これ全部ひっくるめていい名前あればいいのにね。
今日はこの「HSP」という言葉の私なりの<取扱説明書>なるものを書いてみようと思います。
HSPというワードの使いづらさ
定義を調べるとすぐ出てくるのは…
「周りからの刺激を受けやすい敏感な人」
日本には2000年にこれを初めて言った博士の著書が翻訳された時に入ってきて、これ関連の書物が増えたために知られるようになったんだそうだけど。
この定義を見た時の<2つの立場>を想像してみようと思うのです。
まず、当人。わたしも正直バッチリ該当者だと思うので初めてこれを見た時の気持ちは
「あ、そういうこと?」
ホッとした。かな。
ずっと周囲からは「変わってんな~」「考えすぎやで」「だれもそんなん考えてへんで」って言われることが多かったのでこの言葉を知るまでは「自分がおかしいんか?治さなあかんのか?」っていう気持ちでした。まずはそこからは解放されました。一定数、おんなじタイプがいるとわかったのと、血液型みたいなもんで「治す・治さない」ではないというのがわかったので。
しかも、思考の度合いだけでなくて、換気不足の部屋の空気の悪さとか、妙に蛍光灯がまぶしいとか、服の裏地の冷たい感触がどうにも嫌い、とか、他の人がけろっとしていることが不快なのもひっくるめて感覚過敏だと理解できたので「あ、しゃあないんか」って思えました。これはとてもいいこと。
さて、もう一方、該当者ではない人がHSPの定義にたどり着いたら?
多分、調べたくなったのには理由があるはずで、ほとんどは「同僚・友達にいる」「家族にいる」そして困っている、理解してあげられないとかのきっかけがあるんだと思うんです。で、調べて出てきた意味が「周りからの刺激を受けやすい敏感な人」だったら?
「うわぁ、そうだったんだぁ。あの人大変なんだなぁ。優しくせな。」ってなるやろうか?まあ、本当に本質が優しい、気持ちの余裕がある人、無私の愛を完璧に持つ人ならそうなるんだろう。でもさ、正直まずは
「えっ……めんどくさ。」
ってならん?そんでもって「なるべくかかわらんとこ」ってならん?悲観的かなぁ?どうしても関わらないといけない立場の人だとして「じゃあ、どうすればいいん?」っていう答えも難しいと思うんですよ。
該当しない他者が知った時に困惑するワード、それが「HSP」。
なのでこの言葉、該当者自身が振りかざしたらろくなことにはならないんです。
ちょっと言い換えて「わたし、繊細なんで。」でも駄目でしょうね。これだとささいなことですぐ落ち込む人、みたいに勘違いされそう。そういう面もあるんだろうけど、この面だけなら幾らか自分で改善できるかも。完璧を求めないとか、あまり相手に期待しないとか、自分は最悪のパターンを思いついてるだけ、事態はそれほど悪くないと言い聞かせるとかかな。
本当は、先にも書いたように音や光や張り詰めた緊張感みたいな目に見えないいろんなものに何かしら体が反応してしまうくらいアンテナの感度がいいので、<情報量の多さに疲れている>というのが実態です。ラジオの周波数合わせてたら、数局を同時にキャッチして音声混ざってる時のイライラみたいな?
わたしも仲良くなった人に説明するのが面倒で自分で一番わかりやすいと感じたネット記事のリンクを送ったこともあったけど、あとで「良くなかったな」と思いました。悪い反応は帰ってこなかったけど、かといって理解が得られたどうかは謎。反省したのでそれ以来、気にかけてくれる人には「みんなが何ともない音とか光とか温度とかそういうものにも反応しちゃって情報量で脳が疲れんねん。」と言うことにしています。これだと「えー!それは大変だね。」って返ってきます。
HSPも使いよう
というわけで「HSP」というワードは該当者が<自分について納得して、もやもやを整理するために使う>にとどめておいて外には出さないでおく方がええんちゃう?という話でした。
いっそ感度の高さを他の人にはない特技みたいに思えたら幸せね。
あ!感度の高さを、「電波が強くてアンテナ立ちまくってるよ~!」っていう意味で
”バリ3パーソン”「B3P」にする?
(”バリ3”がもう死語やねん!って)