
義父が亡くなりました。
すい臓がんが見つかってから8カ月。発見されてすぐ「ステージ4です。早くて半年、長くて1年です。」と言われてちょうどその中間地点。お医者さんってすごいですね。
振り返ってみるとだいたいの経過はこんな感じ。
自宅での緩和ケアで癌と生きた80代
癌告知から亡くなるまで
癌自体は手術は不可能、抗がん剤もたとえ挑戦できたとて期待できないのでトライする方がQOL(生活の質)が下がりそう、という事だったため自宅での緩和ケアを選択し訪問看護の先生に付いていただいておりました。最初の4か月の父は普段と何も変わらない日々。病院で診断されるきっかけになった胃の不調は抱えているものの好きなものを自分が食べれる分だけ食べ、当時調子を悪くしていたお義母さんの代わりに家事をこなしたり車で買い物や病院に連れて行ったりといつも通りに過ごせていました。5か月目くらいから食べられるものが少しずつ減ってきたようでしたがまだまだ見た目は何も変わらなかったです。家族みんなで近場の温泉に行くくらいなら大丈夫で、普通に笑って話してスタスタ歩いて、でしたね。そのころまでに「自分のお葬式はこんな感じで、お墓をこうして、車をどうしようか…」みたいなことも心の余裕をもって話していましたし、自分で銀行口座を一つにまとめたりもしていたみたいです。
親族たちとのメッセージのやり取りを見返すと様子が変わってきたのはその温泉旅行から1カ月半後。明らかに食べられるものが減ってきてリビングで椅子に座っているのもしんどそうで、痛みが出てきたので痛み止めが処方され始めます。トイレやお風呂に行くのは自分の足で頑張っていましたがその足の踏ん張る力の衰えも本人は感じていたようです。そのあとは”食べること”はもはや「食後の薬を飲むためだけのモノ」になっていって口に入るものが2,3種類しかなくなりました。しかも一口。そこから2か月足らずの間はベッドとリビングの椅子の往復しかできないし、リビングにいたとしても楽しくおしゃべりできるような感じではなくなっていたのでこのあたりからはもう決めておかないといけないような話とか、気がまぎれるような話もできる感じではなくなっていました。あらためて「話すべきことを話しておく」そのタイミングの難しさを感じた時間です。まだ楽しそうにしている時に亡くなった後の話を切り出すのってこちらからは非常にやりにくいし、時間がたつととにかく本人がしんどそうでそれどころじゃない感じになってしまったので最低限のお義父さんの希望を元気なうちに伝えておいてくれて非常に助かりました。

終末期ー点滴と栄養をどこまで摂取するのか?
そしてとうとう本当にお父さんの人生がそろそろ終わるんだな、と感じだしたのはラスト1か月。腹水とむくみが出てきたので私も身内にこれまで癌闘病者はいなかったものですからいろんなことを下調べしましたら「体が命を”閉じ”にかかるときに起きること」として点滴や栄養を処理できなくなって起きる現象なのでその時点で点滴をストップするかどうかを決めなくてはいけない瞬間が来るという事でした。ですが、この時に診てくれている先生がどんなお考えかによって、そして身内がみんな意見がそろっているかによってスムーズには決められないってことも予測できました。
我が家の場合、担当の看護師さんの意見は「もうストップした方がいいかと…」だったらしいのですが医師は「今の腹水とむくみはまだマシな方。もっとひどくなる人を診てるからまだ余地はあるので続けられます。」とおっしゃったとか。私は個人的にはちょっと不安がよぎりましてね。点滴をストップするのとしないのとでは本人の苦しみ方は違う(体が摂ったものを処理できないのにどんどん点滴を続けると”溺れるような苦しさがある”と表現される先生もいます。)けどその違いをもう本人は冷静に判断できないと思うのでここまで「あくまで本人の意志が一番。」というスタンスでお世話しているお母さんと息子の一人がこれをどう決定するのかハラハラしてました。点滴をし続ければ”息をしている日”を何日か伸ばせるけど、その間本人はとても苦しいかもしれないのです。一応旦那さんにはきちっと調べたことを説明して誰も決めれない時にはどんな風にアドバイスしてあげるかのシュミレーションはしておくように勧めました。
にしても。このお医者さんの「もっと腹水とむくみがひどい人を見ている。この方のはまだマシなほうなので心配いらない。」っていう発想はちょっと違和感です。もっとひどくて大変になるまで気にしないってことですよね?でも実際にはどのくらい苦しいかなんて10人いたら10人とも違うんじゃないかな?って思うんです。限界まで試さないでほしいですよね。しかも看護師さんが「私ならもう…」と言ってるのも気になって。私が調べたネットでの解説でも「看護師のほとんどは『もうストップしたほうがいい』と感じるのに『でも実際は…止めるのは難しい』と答えるそうで。理由は
①医師が明確に家族に説明したり指示を出してくれない。
②ご家族の中に「点滴しなきゃ死んじゃう!」っていう強い考えの方がいる。
のどちらかだという事です。
なので内心「これ、私個人だったらあんまり長引かせたくないんだけど。みんなどうするんだろう?」って心配でした。
最後まで自分の意志で人生を閉じた父
結果だけを先に言うと、その心配をした2日後に父は亡くなりました。たまたま息子たちが順番に様子を見に実家を訪ねたそのあとのこと。私にはこの連休を待っていたかのようなタイミングにも見えました。私が最後に見たお父さんはベッドに腰掛けるのもやっとでしたがそれでもトイレまで自分の足で歩いて介護グッズは何も使わずに、いわゆる”下の世話”は誰の手も借りずに、トイレの行き来ができなくなって廊下に倒れ込んでしまうことを数回繰り返してそのあとはもう起き上がれず。連休の最終日です。最後のその瞬間は増やしてもらった痛み止めも効かず辛かったようですがその時間は最短だったんじゃないかな。私としては点滴で苦しめないかどうかの心配を誰もしなくて良かったたことと介護の大変さをほとんど家族に感じさせることなく人生を終えたお義父さんに称賛を送りたい気分でした。
息子たちは結局”献身的な~”という感じのお世話には至らなかったけど、お義父さん自身がそれを期待したり要求したりはっきり示していなかったので「本当は息子たちにどうしてもらいたかったんだろう?あれでも十分うれしかったのかな」という疑問は残ります。とにもかくにも、周囲の家族のいろんなすれ違いや疲労が最小限でとどめられたのは本当にありがたかった~。
ここからは私が感じた<息子たちだけの介護>の最大の懸念点かもしれない”トイレのお世話”についてちょっと書きます。