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自律神経失調症で繊細な専業主婦させていただいております

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息子だらけの介護ー嫁視点④

 ようやく気温が下がってきまして一日を有意義にいろんなことに使えてうれしい限りです。衣替えは断捨離チャンスですね。

今年の夏に大きく暮らし方が大きく変わってしまった義実家。猛暑の夏に寝込んでしまった義理の母の筋力回復はそう簡単にはいかず、不調は若干解消されたので随分動けるようになったようですがやはり大きな家事はもう無理です。衣替えなんかも助けが必要。息子たちにもなんとか「親の健康状態が以前とはまるで違う」という共通認識は持てたものの、これ以上悪くならないようにいろいろ早めに手を打ちたいタイプと「今、なんとかなっているんだったら別に何もしなくて良くない?」の2タイプの人間がいるわけで…そして高齢の親たちはとかく大きな変化を嫌うもの。どっちかっていうと「急いでする必要ない」って言ってくれる息子の言う事の方が通っちゃうんですよね。介護って”最善”を見つけるのはほぼ無理だと思い始めています。

 

認知症”ー症状の名前で拒否感が生まれてしまう

 以前からこの<認知症>って名称、使いづらいなと思っていたんですよね。高齢の親にその気配が出てきても絶対本人の前では自分は使いたくないな。今回初めて介護申請の認定調査の資料を見ていて感じたのが<認知症>という言葉が本当に当てはまるのはその症状の影響で家族など周りの人にどれだけトラブルを生じさせているか?が一つの指標になるのだなという事です。調査員や地域包括センターのスタッフさんの会話からすると、例えば”約束を覚えていなくてダブルブッキングしていた”とか”大事なものを立て続けに紛失する”とかを尋ねておられました。なのに心配する身内は(まあ冗談ぽく言ってるっていう面もあるんだろうけど)わりともっと手前の単なる”老化現象”の類を<認知症>が始まった、みたいに言ってたりします。

最近物覚えが無茶苦茶悪い

話をうまくまとめられない

いろんな好きだったことへのやる気がない

日常のこういうことが増えてきたとしても本人はまだしっかりしているのでこのくらいで「認知症かも?」とか言っちゃうと本人は「今、言われて嫌だったんだろうな」って顔するんですよね。医学的には<認知症>の一歩手前の状態を<MCI=軽度認知障害>という名前で位置づけているようですがこれに該当するうちはあんまり本人の前で言わない方がいい気がします。で、今うちの親は実母も義理の母もまだまだそこにも足を突っ込んでいるとも私は思えないんですよね。

高齢者の気分の落ち込み?それとも誰にでもあること?

 今回、義理の母は圧迫骨折を機に体力だけではなく、うんと気力が落ちてしまい一見この<認知症>のような症状が強く出てきたように見受けられました。身内の実子の息子たちはこういう”日常の変化”みたいな視点は本当に気づかなくって主に女性陣が同じ女性目線と観察眼で「あれ?お母さんってこんなんだったっけ?」と思った点がいくつかあったのですがお母さんの場合は

掃除などきっちりとできなくなった

おしゃれをしなくなった

筋道だてて話せなくなった

人の話についていけなくなった

などが目立ちました。それを「そろそろ認知症の気配が」と言い始めてしまったんですが私としては「ちょっと待った!」です。多分これはその身内の女性陣の中でもあとの人たちはとてもアクティブで私が一番虚弱だからだと思うんですけど、体調の悪化、体力の低下、いろいろ重なったら誰でも積極性・向上心・気力全般がぐんと下がってしまいません?私だって体調が悪ければ何にもしたくないし、低気圧が来るだけでおしゃれもどうだってよくなる。好きなこと、やりたいことがないわけではないけどそれより「痛い」「しんどい」「辛い」が勝ってしまったらみんなそうなるはず。同じ症状でも若い人なら「今はメンタルやられ中」とかで表現されて高齢者だと「認知症」なのは違う気がします。代わりに「老人性うつ」って言葉があるらしいけど…これもなんか使いにくい言葉だなぁ。”シニアブルー”とか”オーバー80シンドローム”とかだとかっこいい(笑)

高齢者にやる気を出してもらうのは至難の業

 親が高齢になって気力が落ちると「以前のような親に戻ってほしい」と思う人もいるみたいですが、たとえずっと続けてた趣味がある人でも高齢になってもやり続けるのは難しいもの。カメラが好きでよく風景を撮っていても外に出るのが難しくなればしなくなるし。手芸や裁縫が好きでも視力の低下や作品を使う人がいなければやらなくなる。「90歳になっても続けています!」みたいなテレビで紹介されている人は珍しいからこそテレビで紹介されてるって思わないといけません。おしゃれだって気合い入れないと、そして行く場所や見る人がいなくてもできるかって言われると難しいです。高齢になってもキラキラしている他の人と比べたっていい事何もないのでそういう人の方が稀で特別すごいんだって思えばいいんじゃないかな。私自身、90歳近くでもおしゃれしているご婦人を今までは「私もああなりたいわ」と思っていたのに、母たちを見ているうちにその方たちが”超人”に見えてきましたもの。

 とある記事で「高齢者は”老い”という新しいライフスタイルをちょっとずつ受け入れようともがいている」的な表現があって今のところ自分的にもこれが一番すっきりと受け入れられています。若者が思春期をじたばたしながら大人になる準備をして過ごすように、親もじたばた、あたふたしているんですね。

さてここからは私の親たちの老後の過ごし方とやる気の話です。

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