「ちょうどいい」をさがす

自律神経失調症で繊細な専業主婦させていただいております

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猫のように人と関わっていたい

 昔はそこまでじゃなかったんだけどな…。

 最近本当に人と関わるのが億劫で大変です。数少ないけど友人はちゃんといますがわざわざコンタクトを取って「会おう」というのが本当に苦手。新しい友人を作るのはもっと苦手。でも自分が普段以外にも”人懐こく”見られているのが厄介なのです。なぜかって、それは自分が「されたら嫌だな」と思うことを極力せず、「されたらうれしいだろうな」と思うことをしてしまうから。

そう、”してしまう”これが問題。

繊細さんはとにかく気を遣う生き物である

 何事にもものすごく気を遣ってしまう私は自分がされて嫌なことを人に極力しないように生きています。すると”されて嫌なこと”が多すぎる私は自分の首を自分でしめることになってしまい、結果「あ~もう誰かとしゃべるの面倒だぁ~!」ってなってしまいます。嫌なことをしないもんだから周りの人はむっちゃ気軽に声をかけてくれるのでこれがまた苦しい。仕方なく「具合が悪いです」アピールであえて不愛想に逃げ切るしかなく、低血圧と自律神経失調症を盾にしてコソコソやっております。

そんな中、現在のスマートすぎる人間関係で年をとっていっていいのかな?とも考えたりしたんですよね。年をとってから旦那さん以外の<お茶のみ友だち>って必要なんでしょうか?

 

 友だちを作ることを回避している自分に気づく

 実は数日前、すごいところで<考えさせられる言葉>に出会いました。最近ハマっているYOUTUBE動画の中のゲームストリーミングのロールプレイゲーム(プレイヤーの実体の人がゲーム内のキャラクターになり切ってその人生を進めていく)での出来事です。”観測者”と言われる私たち視聴者はその日にログインしてアニメーションの街の中で動いているいろんなキャラクターを配信している方々の各視点を自由に見に行けて、プレイヤーたちはその場その場でリアルタイムで起きる出来事にアドリブで声をあててアニメーションを動かしていくのですが、私が見ていた女性のキャラが「自分は友だちを作ろうと積極的に思ったことも、必要だと強く感じたこともない。」と別キャラに相談する場面に出くわしました。あら、自分と一緒。そして相談にのっていた相手の男性の答えが興味深かった。

その男性キャラはまだそのゲームに参加して日が浅く、話し方からしてめちゃくちゃ陽気な感じでもないんですが一生懸命他の人と関わりを持とうと頑張っている人でした。女性キャラの方が「自分が用事で一人で出かけようとすると(ゲーム内での)彼氏がものすごく心配する。『大丈夫よ?』と言っても周りに心配されて信用してもらえないのはなんでだろう?」という悩みの流れで「その人はあなたが非力に見えるから守ってあげたいのでは?」と答える男性。「女性なので実際に筋トレしてムキムキになる必要はないけれど…」と言った後こんな持論を展開します。

「僕は実は交友は”力・武器”だと思っていて。

だから本当はぜんぜん得意じゃないけれど友達作ろうと今頑張ってるんです。だって危険なことが起きたり大変な思いをしてる時、心配してくれる人や僕のことを少しでも知ってくれて”友だち”だと思ってくれる人がこの街にいればいるほど絶対だれかが見ていて助けてくれると思うんです。」

ゲーム内の台本のない会話なのに本当にいい話で、実際その新人さんの男性キャラの動きは真面目で地味な雰囲気ではあるものの街で出会うたくさんのキャラに丁寧に話しかけ「ニックネームで呼んでもいいですか?」と申し出、しっかりと着実に友だちを増やしていっているのです。私も遠い過去には心がけていたことではあったんですが最近すっかりさぼっていたのでちょっと心が痛くなりました。自責の思い。

 

友だち関係は”深さ”のさじ加減が難しい

 あ~もうしばらく『あの人と友だちになろう!』なんて気持ちになってないな、と気づいたあと「なんで私は友だち作りたくないんだろう?」って理由を先に考えることに。そうだ<深さ>がわからないんだ。関係性の深さ。人によって違う<友達>の感覚?定義?何パターンか考えてみます。自分の感覚を添えてみる。

誘い合って一緒にご飯いったり買い物行ったりする→けっこうイヤ

電話でしゃべる→かなりイヤ

困っていたら助けてあげる→仲良くなくてもできる

プレゼントをしたくなる→上に同じ

説明しなくてもお互いの性格を把握して動ける→友だちだと思う

多分、軽い気持ちで楽しめる人は「まず誰でもとりあえずご飯とか食べに行ったらいい。そっから気が合うかどうかでまた次回もあるかどうかわかってくる。」って思うんでしょうけど私は無理だ。事実、こっちはその場で「あ、この人、無理だ」って思っても相手が「わぁ!楽しかった!友達になろう!」もしくは「私たちもう友達だよね?」ってなってあとあと大変だったことがある。別パターンは一緒にご飯に行ったら恋愛相談と見せかけた「ねえ、あの子のこと好きじゃないでしょうね?取らないでよ?」の”鎌かけと釘差し”だったこともあるから「まずはご飯」は怖いんだよ~。

そんな過去の経験のおかげで私は先にまずはしばらく物陰から観察、がなくちゃ近づけないです。

社交辞令が苦手

 もう一つ。友達作りを面倒だと思う理由のはっきりしたものがコレ。

「また一緒に○○しようね~誘うわ」

「今度ぜひお茶でも!」

相手がどんなトーンで言ってるかわからない2大フレーズだと思うんですよ。自分が言われる側だと考えこんじゃうから自分自身は絶対言わないようにしています。言う時は本気で計画したくなる気持ちがある時だけ、長くても半年以内には実行に移す覚悟で。でもぜんぜんそうじゃない人が世の中に半分くらいはいそうだから大変。

以前「向こうにそう言われたからお誘い待ってるんだけど…」ともじもじしてるおとなしい子と「え?別に計画してないよ?あれ、私がお誘いすることになってんの?ごめ~ん」ってあっけらかんと言う社交辞令平気組(ハイスクール奇面組みたいな言い方ww)のやりとりの間に入ったことがあります。両方の言い分はわかるけどやっぱりこういうことがあると面倒です。なのでこういう社交辞令から始まる友情とも無縁なんですよね。

心が疲弊するので<猫>になる

 いろいろ考えたけど全部を乗り越えての友達作りはどこかで絶対途切れそうだな。でも「交友は力であり武器である」っていうのも真実だと思います。そうなったらやっぱり私は猫タイプで行こう。最初は相手を興味ないふりしてチラ見して通り過ぎるけど「この人好き!」ってなったらふわっと懐に入り込む。一部の人にしか見せない顔があるところも猫っぽい。それを分かってくれる人がもしいたら相手が犬タイプでも仲良くなれるんですけどね。

50歳からできる新しい友だちがいたらどんな人なんでしょう。

近所の外歩き猫チャタ。「帰ったよ~」「ご主人様帰ってこないからなんかくれ~」とおしゃべりして用件が終わったら去っていく。凛々しい横顔。

起きてる間は絶対こうならないくせに冬場のお昼寝の時だけの仲良しモード。うちのニャンズの良い距離感。