「ちょうどいい」をさがす

自律神経失調症で繊細な専業主婦させていただいております

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会話上手は質問上手

 

 多分、更年期のせいもあるのだけどちょっとしたモヤモヤが発生しました。理由は自分でもよくわからないけど、無理やりに単語にするならば「不安」。私の脳内では「不安なんてのはまだ起きてないことが大半だし、本当に現実になる可能性は少ないんだから早くこのモヤモヤから抜け出さなくては」という持論でかき消そうとするのですが…

そんな風に自分でも闘ってんのにそこに”火に油をさしてくる”のが他人の無理解な言葉だったりするんですよね。今回のモヤモヤの発端

”自分にとって手放しでは喜べないことを他者に安易に「良かったね」と言われてしまう”という状況のお話。繊細であるゆえの面倒くさい感性の話、とも言います。

 

 自分の話はちょっと特殊なので例えになりそうな具体的な別の似たような場面を挙げてみます。

■家にいるとなかなか手がかかったり、家族に害を与える人がしばらく入院していたのに退院する。

■子供が大学に合格したけれど実は希望通りではなく、この先思った以上に出費が予想される

■夫が昇進、もしくは栄転が決まったが不安要素が多々ある    など

もっとぶっとんだ話まで発展すると、発展途上国などで小さな少女が自分で恋愛をすることもなく強制的に誰かのお嫁さんに決まり、十代のうちに結婚させられるとかも該当すると思います。

 つまり、表面上は確かに”めでたい”ことだが本人は手放しで喜べないこと。当時者本人も喜んでいないパターンもあれば本人は喜んでいても家族が頭を抱えていることもあるし、家族もうれしい気持ちがゼロではないが「この先どうしよう」という感情も抱えていることもあります。なのに、周りの人は”おめでたキーワード”<退院・合格・誕生・昇進・結婚>だけに反応し、安易に「おめでとう」だの「良かったね」などと言ってくるんですよね。「はーい、ありがとうございますぅ」と答えてさらっと流しておけば一番いいんだろうけど、自分の性格上どうしてもその「考えの浅さ」からくる”おめでとうコール”を拒否したくなってしまいます。場合によっては心から喜べないこっちの方を<悪>にしてくる圧のある人だっているんですよね。「喜ばしい事じゃないか?なんで微妙な顔してるんだ?」って。

当事者は私なんですが…。って言いたくなる。

 こういう時、本当にありがたいのはすべて察してくれる親友が一人でもいるこういうことです。日頃から様子と性格を知ってくれているからこそ本当の心情を察してくれて決して自分の感想を押し付けたりしません。本人が「良かった~」と言って初めてそれは本当に「良かった」なのでそれを尊重してくれる人が一人でもいると本当に救われます。

 

 真逆のパターンはあるのかな?。周りの人が「お気の毒」だと思っていることが当人にとっては「うれしい」こと。あまりなさそうだけど微妙な場面はあるかもしれない。「うれしい」ことでは絶対ないが「安堵」が大きいこと。

 例えば、認知症の人を介護していてへとへとになっているところでその人が亡くなったら。人が亡くなるのは残念なのは絶対なんだけど、どこか家族は内心ホッとしているとか。うちも認知症とか介護が長いとかでは全くなかったけれど、父が亡くなった時「悲しいでしょ?寂しいでしょ?」的なことを言ってくる人が多かったですが、一番の家族の感情は「ホッとした」だったんですよね。母がいろいろストレス抱えていたので。父は良い人だったけどいろいろ人生うまくいかない人でした。悲しんでいなくはないけどこちらの気持ちを聞くまでもなく「さぞかし寂しいんだろう」みたいなのはやめてほしかったです。逆の立場だと私がそういう人に一番に伝えたくなるのは「お疲れ様」かな。

 まあ多分だいたいはみんな「どうせ他人にはわからない」ってやり過ごしているんだろうけど、少し仲の良い人にはピッタリのことを言ってほしいし、言ってあげたい。そこで自分は質問することにしています。

例えば家族が亡くなった方に

「大変だったですね。疲れてませんか?」

と質問すれば相手の感情の小さなヒントが見れるかもしれないです。悲しい気持ちにとにかく寄り添ってあげるのが正解なのか「やり切ったね。よくやったね。寂しいけれどこれでみんな少し楽になれたね。」を伝えてあげるのがいいのか知りたいと思うのです。他者の感想と本人の感情のズレを最小限にしたいんですよね。

 

 

 あと、何か言う前に心がけていることは”自分の感想と相手の本心”を切り分けて考えること。

私は良かったな。と思えるんだけど、家族にはいろいろ大変なこともあるのかな?」

と、とにかく安易に「めでたい」「大変なことだ」とは言わないようにしています。

「春から環境が変わりますね。楽しく迎えられそう?」とか

「家族が増えてよかったなって思うけど大変なことはない?」

など相手が出来事を前向きに受け止められているかを確認する質問をするようにしています。

 そういえば最近、知り合いにも初めてのお孫さんが生まれたものの、すぐに退院できる状態ではない赤ちゃんだったため、ママであるその方の娘さんが毎日泣いているっていう状況の方がおられました。自分からいろいろ発信するタイプの方ではなかったので、やっぱり質問しないとわからないことでした。この場合も本当の<おめでとう>は一通りの医療処置を終え「まずは一安心」な赤ちゃんがママの腕の中に戻った時、ママの心も前向きに整理できた時に初めて言える言葉のような気がします。

 結局は”会話”。会話とはよくキャッチボールと言われるけど結構<投げっぱなし><ぶつけただけ>の人が多い。関西人は特に多いんじゃないかな?(笑)

「こっちのお祝いの気持ちをとりあえず受け取ればいいじゃん。面倒くさいな~。良かれと思って言ってるのに。」と主張する人もいるけど、そういう人ってハナから<会話>というキャッチボールをする気がない人だと思っています。強いボールで相手がミットを構えた場所にちょうどいいタイミングに投げれていないのに「受け止めろ」と。でも正直そんなボールなら投げないでほしいんですよね。普段の他愛のない会話ならまだいいんです。自分だって失敗するし。問題は結構繊細な話題の時にも<気持ち>も<思考>もない話し方をされちゃうことです。

 でも、他の人に求めてもむなしいだけなので自分としては質問上手になりたいなと思います。相手の気持ちは相手に尋ねる!キャッチボールの直前の数秒のアイコンタクトがあるだけで暴投は回避できるはずなので少なくとも自分はそこにこだわって生きていたいんですよね。

 そして、現実、いろんな”暴投ボール”が飛んでくるのは避けられないのでそれを無理に取りに行かない強い心も持ち合わせたい!そういう時は名キャッチャーではなくていい!大きく外れたフォアボールを全力で無理に取りに行ってフェンスに激突して怪我をしないことが一番です。

仲いい友達が海の見えるカフェに連れ出してくれました。ありがたい。