「ちょうどいい」をさがす

自律神経失調症で繊細な専業主婦させていただいております

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<センス>とは感覚というより根拠だと思う

 ファッションやインテリア、言葉の選び方まで「センスがいい」「センスがない」と言う言葉を誰しも使ったことがあります。でも「センスがいいよね」と褒められたとしても実のところ、誰も他の人の感性と交代してみることができないのですから褒められている人も一体何のことか本人はわからないものです。

 もしかしたら「センスを磨きたい!」と本気で努力して手あたり次第美術館に行ったり、小説を読んだり、旅行に行ったり、人と会ったりして身に着けた人もいるかもしれません。わかりやすく家族の中にすでにセンスの良い人がいて、小さいころから触れて来れた人もいるかもしれないです。が最近<センス~感性~>は結局、<ゆるがない根拠を見つけて信じること>のような気がしています。

 時々私自身「センスよくするの、どうしたらいい?」と他人に訊いていただけてうれしくはあるのですが「はて?どうしたらいいんでしょ」と答えに困るのでちょっと一回まとめてみようと思いました。

 

 

感性と結びつくもの

■センスと記憶

 お料理にもセンスって言葉を使いますのでまずはお料理で例えてみます。誰かが作ったお料理をおいしいと思ったとします。自分でも再現出来たらいいのに…と思った人はそれがどう作られているのかの情報を仕入れます。調味料なのか、カットの仕方なのか、火の通し方なのか…。(このアンテナが張れないって人は…まずはそこを頑張ってください。)そして、それを覚えているかどうかが同じものを作れるか、そして他の料理に応用できるかにかかわってきます。

ここまで細かくすりつぶした方がいいのか!

片面焼くのにこれだけ時間かけるのか!

煮物って火を止めて冷める時に味がしみこむのか!

など新しい情報が入ってきたら「どうりでこれまでの私のやり方がいまいちだったわけだ」と納得し、以降は新しい情報を記憶し、応用すればいいわけです。ちなみに上の文章、読むときに何を想像するかって人それぞれ。”すりつぶした”のは芋なのかカボチャなのか、”焼いた”のは鶏肉か魚か、”煮込んだ”のは筑前煮かお肉か。当てはまるものが何通りもあるということは何種類も応用できる準備はできたということなのであとは記憶です!「あ、前、○○焼いた時にこうしたらおいしく上手にできたわ。これもやってみよう」みたいに思い出す力。

ここで思い出したのですが、普段料理をしない旦那さんに肉じゃがの芋を切ってもらったことがあります。サイズを言わなかったら、本人は自分が食べたい”ゴロッゴロの大きなジャガイモ”のイメージで切ってたのですが、そんな大きさだとその時の夕飯までの時間では火も味も中まで通りません。そっと指摘したら「そんなこと考えてなかったぁ~!」って。これは単に経験と知識と応用の問題で、これだけで旦那さんは料理が下手って話ではないですよね。

■センスと数学

 次はファッションで例えます。よく、ネットや雑誌で見た時は素敵だったのに、別の人が着てたらイイと思えたのに自分が着たら…みたいなことが起きます。これはわかりやすくスタイル、顔の大きさ、パーツのバランス、髪色なんかの違いです。でも”素敵”と思った感覚は大事にしたらいいと思うんです。

ここで数学。

まずは面積の問題。黒のトップスを白のボトムスに合わせたとして、黒と白と肌色の面積のバランスは袖や裾をまくったり、ボタンを外したりで何万通りもあるわけです。モデルさんとは違う着方になったとしても鏡を見て「ここだ!」というしっくりポイントがあればそこが自分だけの<正解>。これさえわかればもうこっちのものです。

自分の胸元はV型よりU型がしっくりくる

自分の背丈でトップスの長さはこれ以上はバランス悪い

自分の”ひざ丈”ベストは〇cm

大人はもう身長もほぼ伸びませんから決めちゃいましょう。自分でわからなければ人に「いいね」「似合ってる」と言われたものを「なんでそういわれたのか」分析してみると見えてきます。ここは分析力。いろいろ試して「これだと若く見えるらしい」「これはイマイチみたい」ってわかってきたら統計学。もちろんみんなの個人の好き嫌いがあるとしても”評判がいい形”がうっすら見えてくるものです。

絵を描く時も、インテリアを配置する時も、花を生ける時も、画面や空間の分割はある意味数学的。足し算もいいけど引き算が肝なこともある。

あと数学とは違うけど、色彩のルールみたいなものは知っておいて無駄はないですよね。

■センスと思いやり

 ネットで<センス>の定義を調べると「空気の違いを感じることにたけている」みたいな説明も出てきます。私も<他者への気配り>がセンスに直結している気がするのですが、さすがに「センス良くしたいの、どうしたらいい?」と訊かれて「他の人への思いやりだと思うよ」なんて言えないので(少なくとも相手はそんな答えが返ってくるとは思っていないはずなので)黙っているのですが、どの分野にもこれは絶対欠かせないとこっそり確信しています。

料理なら”おいしい”の次に

キレイに盛り付ける

相手の年齢・体調を気にしてメニューや食べやすさを変える

栄養のバランスを整える ができたら自然とセンスの良いメニューになると思うし、

会話のフレーズでも

シンプルに褒めるだけじゃなくどうしていいと思ったか伝えてあげよう

多分こんな努力をしたはず、尋ねてみよう

自分の弱点や失敗談も教えてあげよう  って考えて話すと表現は少し変わるもの。

「とっさにできないよ~」っていう時はその場は黙ってていいと思うんですよね。後日「この前うまく言えなかったんだけど…」ってゆっくりまとめたことを伝えれば、急いで発したヘタな言葉でその場を乗り切ろうとするよりいい雰囲気になるかも。

 ファッションの場合は?これもある部分では当てはまると思います。

昔、20代の頃グレーがすごく好きだったことがあり、とっても気に入って購入したグレーのコートがいきなり少し年上のお姉さんの友人に「そんな暗い色、若いのに着ちゃだめよ!」と言われたことがあります。まあ普通にショックで「なんでそんなこと言うの?」と思ったのですが、そのコートを着続けながらも相手のことも考えてみました。そのお姉さんは普段から明るい色が大好きな色白の社交的な方、一方、私は肌の色も白くはないし性格も根暗だし(笑)同じ色が合うわけない!と、ここで「もう!私はグレーが好きなの!好きにさせてよ!」と言うこともできますが。とはいえ、とはいえです。その方のご性格から察するに、本当に私に似合う色があると思って、ご自身の経験上、何か根拠があってアドバイスくれたんだろうな~と考えて”自分のこだわり”をちょっとだけ横にずらして許容範囲の中でアドバイスを摂り入れてみるわけです。案の定、少しだけ色を入れてみたら「それがいい!」と褒めてくれる。自分的に選択肢も増える。結果、自分が大好きなグレーの上手な使い方も覚える。(←これが一番の収穫!)となっていきました。一度パターンを覚えればもう自分のセンスは固まります。

まとめ

 今の時代「ノーストレス」「自分のやりたいようになる」「こだわりを曲げたくない」というのが良いように語られるけれど<センス>に関してはそれだけでは育たない気がします。逆に、いつも誰かの真似をしたり、みんな同じになるのも楽しくないですしね。元々繊細な人は自分のベースに「この自分の考えは違うかもしれない」「あの人には違う意見があるかもしれない」「ハプニングがあるかもしれない」などといろんなことを考えてしまう傾向がありますがそれって素晴らしい才能だと思います。

まとめるとすると

センスを磨くとは

まずは”自分のこだわり”を一度ぶっ壊すこと

かもしれません。

いろんな人の色んなエッセンスをちょこっとずつ吸い込んで、構築しなおした根拠のある”自分のこだわり・改訂版”が出来上がれば、胸を張ってそれを大事にしていけたらいいですね。